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おぢばがえりの巡礼論
by 邱琡雯, 2018-07-07 08:40, 人氣(1219)
おぢばがえりの巡礼論
国際学部地域文化研究センター准教授   井上 昭洋 Akihiro Inoue
平成 23 年度公開教学講座「現代社会と天理教」(2)
Glocal Tenri  Vol.12 No.12 December 2011

「おぢば帰り」の誕生 
中山正善二代真柱によれば、「おふでさき」と「みかぐらうた」 における「ぢば(しバ)」の用法は普通名詞の「地場(じば)」の 意味であって、「元なる」といった形容を受けて特別な意味を帯び るようになっている。確かに、いずれのお歌においても、「ぢば」 を「場所」の意味で解することが十分に可能である。「こふき本」 に出てくる「じば」や「地場」という用語も普通名詞の「場所」を 意味すると考えて良い。「こふき本」においては、天理王命の神名 が授けられたのは「ぢば」ではなく「屋敷」であり、人間が創造さ れ、親神が鎮まる場所も「屋敷」であった。明治 16 年頃は、教語 としての「ぢば」は信者の間では理解されていなかったのである。 明治8年に「ぢば定め」がなされた後も、帰参者が帰ってきた場所として意識したのは「屋敷」「親里」「教祖の元」であっ たと考えられる。彼らが、今日的な意味で「ぢば」という言葉 を用い、教祖の元に参じることを「ぢば」に帰ることと意識するようになったのは明治 18、19 年頃のことではないかと思 われる。
帰参を意味する表現としては、明治8年頃に「お屋敷帰り」(『稿本 天理教教祖伝逸話篇』44)が、明治 14 年頃に「親里参り」(こふき本)が定着していたと考えられ、昭和 20 年代 には「お地場詣り」(『陽気』創刊号)という表現も使われるよ うになっていた。「こどもおぢばがえり」が始まった昭和 29 年以降は、教内の出版物で「おぢば帰り」という表現を見つける ことができるが、それ以前はどうであったのかは教内の資料を 詳細に調べる必要がある。 

「巡礼」としての「おぢば帰り」 ある民俗学者にならって「おぢば帰り」を捉えると、それは「往復型」の移動形態を伴った「広域信仰型」の巡礼であり、厳密な意味での参拝者は信者に限定される「閉鎖型」で、巡礼期に ついては「随時型」であるものの「時間限定型」の性格を持つ と言える。また、ある人類学者の類型化に従えば、「おぢば帰り」 は「聖地への巡礼」であるが、歴史的に見て「聖者への巡礼」 の側面もあり、「聖なる物に関する巡礼」の要素は見当たらず、 相対的に「聖なるテクストの巡礼」の性格も弱い。ただし、「おぢば帰り」の逸話は数多く、「寓話的旅としての巡礼」の側面 はある。 

巡礼研究において、ファン・ヘネップArnold van Gennepの通過儀礼論とターナー Victor Witter Turnerのコミュニタス理論(社会構造が未分化で全ての成員が平等な共同体として定義される。)が重要である。通過儀礼は「死と再生」の 形式を取り、「分離」「過渡」「統合」の三段階に分けられ、「過 渡期」は、社会構造が融解した平等的・直接的な人間関係の様態(コミュニタス)を示す。また、儀礼としての巡礼は、社会 体系にある程度組み込まれた「規範的コミュニタス」と捉えら れる。

一方、ある宗教学者は、巡礼が、修行に近い受難の旅と しての「往路」、巡礼者の魂と肉体の癒しを約束してくれる「到達点」、聖からの弛緩した遊行に近い旅である「還路」から構 成されるとした。 「おぢば帰り」にまつわる逸話の多くは、「分離」「過渡」「統合」といった象徴的な構造と「死と再生」の形式を持ってい る。主人公は病気という象徴的な死によって日常から切り離さ れ、苦難の道を辿って「おぢば」に帰り、教祖と面会して奇跡 的な治癒を経験し、元の居住地に戻った後、伝道者として再生 する。ただし、この構造は「おぢば帰り」の “ 物語 ” の構造と 捉えるべきである。多くの逸話において、受難儀礼としての「往路」は詳細に描写されるのに対し、聖からの弛緩の旅である「還路」についての物語が決定的に欠落していることからも、それ は明らかだ。

「おぢば帰り」の逸話が語り継がれることで、「寓話的旅としての巡礼」の側面が強化される。それは、今日の「おぢば帰り」の経験談のモデルとなるだけでなく、「おぢば帰り」そのもののモデルとなるのである。 天理教の「巡礼」 「おぢば帰り」において、コミュニタスが最も明確に現れる のは月次祭などの祭典においてであり、帰参者は神殿内で陽気ぐらしを祈念する親神の子として平等な人間関係を結び、一れつ兄弟姉妹の連帯感が強化される。
ただし、「おぢば帰り」には規範的コミュニタスとしての側面があるので、聖地「ぢば」 においても、所属教会の違いや教会長と一般信者の関係といっ た日常的な社会関係は保持されている。 

「おぢば帰り」にも「回遊型」の巡礼がある。一つは、三殿参拝である。神殿、教祖殿、祖霊殿を回って参拝をするのは聖地内のミニ巡礼と言って良い。一方、「順序運び」と呼ばれる「おぢば帰り」を行う教会もある。これは所属教会から順に上級の教会を参拝して「おぢば帰り」をするもので、「打ち分け場所」をモデルとして行われるようになったと言われる。「おふでさき」に「打ち分け場所」の設置を急き込む歌が歌われ、また、教祖が信者にその設置を許可する逸話も残されている。「打ち分け場所」は、「ぢば」からの布教拠点、「おぢば帰り」の “ 札所 ”、 各地での “ 詣り所 ” といった機能を持つものとして構想された と考えられる。 

「おぢば帰り」の意義巡礼とは聖地を訪れる宗教的な旅である。聖地は教会や寺院などの宗教的な建造物がその典型である。だが、現代社会においては、死や死者がテーマとなっている場所(グランド・ゼロ)から、有名人ゆかりの場所、ルーツ・ツアリズムの目的地(セ ネガルのゴレ島「奴隷の家」)やディズニーランドに至るまで、 様々な聖地が生まれている。これらの聖地が聖地であるためには、その場所に濃厚な「物語」や「記憶」が埋め込まれていなければならない。

聖地としての「ぢば」に埋め込まれている「物語」は「元の理」である。「ぢば」に帰り親神と対峙することと、「ぢば」から離れた地場(じば)で世界は神の身体であることを実感することは、互 いに相補うコインの裏表のような関係にある。私がそのことを 強烈に感じたのは、天理大学の震災ボランティアで宮城県を訪 れた時であった。震災を経た今だからこそ、「おぢば帰り」の 意義について再考しなければならないと痛感した。 「おぢば帰り」の意義は今も昔も変わらない。ただし、どこにいても「ぢば帰り」をすること、すなわち、どこにいても「ぢば」を思い、親神と対峙し、「ぢば」に埋め込まれた「物語」を辿りつつ、世界は神の身体であることを実感することが、今まで以上に重要になってくると考える。
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