布教の家とは
布教の家は決して練習所でも研修所でもありません。
ひたすらにをいがけ、おたすけを実践する場です。
「にをいがけ」とは、匂い掛け。お道の匂い、すなわち、親神様を信仰する者の喜び心の匂いを、人々に掛けていくことをいいます
布教。それは、道を歩むようぼくにとっての大切な使命です。
布教の家は、布教を志す者が実際ににをいがけ・おたすけに明け暮れる場です。ただ歩くだけではなく、歩きながら自らの信仰を見つめ直し、喜びの心を持てるようになる場でもあります。
現在、布教の家は北海道から九州まで、全国に男子寮13カ所、女子寮3カ所が設置されています。
まず布教師がいて 布教の家が出来た
布教の家の設立は、今から半世紀以上前にさかのぼります。
当時、戦後の厳しい生活難の中、お道の布教師は野宿のような状況で布教をしていました。そんな状況の下、教区の好意により、単独布教師に教務支庁舎の一部が提供され、定住地をご守護いただくまで、そこを拠点として布教に歩くことがありました。それが布教の家の始まりです。
つまり、布教の家を設立してから布教師を育てたのではなく、まず布教師がいて、布教の家が出来たのです。
まさに布教実践の場
このような成り立ちからも分かるように、布教の家は決して布教の練習所や研修所ではありません。ひたすらにをいがけ・おたすけを実践する場です。育ててもらう所ではなく、自らが布教師として育つ所なのです。
たすけ一条の歩みこそがようぼくの使命です。教祖のひながたを、万分の一でもたどらせていただこうとの決意と情熱を胸に、1年間懸命に、にをいがけ・おたすけに励む所なのです。
ただ、身構える必要はありません。教祖のひながたは誰もが通れる万人のひながたなのですから。
経験豊かな指導者と良き仲間の中で
毎日の布教道中は、晴天の日ばかりではありません。そんなとき支えとなってくれるのが、寝食を共にする仲間です。また仲間は良きライバルでもあり、互いに切磋琢磨する砥石(といし)でもあります。
さらに各寮には、寮長はじめ育成員がいます。教区管内の布教経験豊かな方々がその任にあたり、さまざまなアドバイスをしてくださいます。
各寮には、長年続いてきた寮のカラーがあります。もちろん地域的な特色もありますが、どの寮も、教祖のひながたを求めて素直に神恩感謝のにをいがけ・おたすけを実践するために、寮生たちと正面から向き合って取り組んでいます。
生涯の宝として
布教の家での1年間は、それぞれの教会の御用や私事から離れて、完全に布教に没頭する毎日を送ります。だからこそ素直に真っすぐひながたを通る基盤がつくられ、生涯の布教生活の心を定める貴重な仕切りの1年となるのです。この1年間に味わうさまざまな経験は、かけがえのない心の宝になるでしょう。寮生の中には、卒寮後も現地に残り、布教を続ける人も少なくありません。
思い切って布教に出よう
私たちようぼくは、定命を25年縮めて現身をお隠しになられてまで世界たすけをお急き込みくだされた教祖の思召に何としてもお応えしなければなりません。私たちが歩む道は、たすけ一条の道あるのみです。そのために教祖はひながたをお示しになり、道の先頭に立ってお導きくだされているのです。
しかしながら、頭では分かっていても、日常の生活に追われてなかなか思い切って布教に徹することができない自分自身がいませんか。
だからこそ、思い切って布教に出ましょう。この1年を仕切って、まずは布教の家に飛び込んでください。