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韓国における日系新宗教受容に関する宗教社会学的研究-天理教を事例として
by 邱琡雯, 2017-08-03 11:08, 人氣(1821)

韓国における日系新宗教受容に関する宗教社会学的研究-

天理教を事例として-

Research Project

Project/Area Number14J03718
Research InstitutionTohoku University
Research Fellow陳 宗炫  東北大学, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
Project Period (FY)2014-04-25 – 2017-03-31
Keywords宗教 / 文化変容 / 日系新宗教 / 天理教 / 戦後 / 韓国 / 海外布教


報告者は、「信仰形態の変容」という問題意識にもとづき、宗教が異文化と接することによって発生する変化に注目している。具体的には、江戸末期の日本で発生した天理教の韓国における展開と現状を研究している。
天理教は1890年代から韓国で布教を行い、初期から日本人と韓国人の両方において信者を獲得した。しかし、第二次世界大戦(以下、戦前、戦後、終戦)が日本の敗戦で終わり、韓国内の日本人は強制的に撤収させられる。天理教の信者(日本人)も例外ではなく、韓国の天理教は韓国人によって復興された。信仰の導き手(理の親)と信者(理の子)の間における縦の関係が重要な機能をもっている天理教の特徴からすれば、信仰上の師ともいえる日本人が撤収させられたことは自力で信仰を続けざるを得ない状況を生じさせた。1965年、日韓国交正常化が締結されるまで日本と韓国の天理教はほとんど交流ができなかった。約20年間、韓国の天理教徒は、天理教の聖地(奈良県天理市内)に巡礼することなく、天理教教会本部(以下、教会本部)と交流が断絶されたまま韓国人信者によって信仰された。また、戦後から激しくなった反日政策に対応する中、天理教が内包している日本性の希釈を余儀なくされた。この一連の流れの中で教義用語、祭具、儀礼方法の変容が行われた。とりわけ、1960年代以降、徐々に日韓の交流が活発になった影響もあり、韓国人天理教信者(以下、韓国人信者)の中には日本の天理教(天理教教会本部、日本の天理教会)との関係を重視するグループと韓国人による自律的な信仰を唱えるグループに分かれた。この葛藤の深化によって韓国の天理教は二つの教団に分裂したことが理解できた。
日本で発生した宗教である天理教が、反日感情の強い韓国社会と接することによって信者の信仰生活に緊張が生じ、日本的要素の希薄化が行われたことが分かった。


報告者は「信仰形態の変容」という視点から日系新宗教の一つと分類される天理教の韓国における展開と現況に注目している。
研究方法としては、文献調査と現地調査を併用している。日韓の天理教団が発行している機関誌の分析、中期に渡る信仰生活への参与観察、複数のインタビューなどを通じて先行研究で扱われてこなかった資料の発掘もできた。このような資料にもとづき、一部の研究成果をまとめて二編の論文に発表している。論文投稿の際にいただいた査読では、報告者が収集した資料の独創性と記録性は認められた。しかし、事例の報告としては価値できるものの、論文で行われた考察が社会貢献や宗教学への貢献に至っていると評価するには不十分であるとコメントをいただいた。報告者も共感する部分であり、宗教の社会的理解を深めるための論理構成が必要であると感じた。とりわけ、博士論文の執筆に際しては、調査で収集した一次資料を駆使するとともに、理論の構築・引用が必要であると感じている。理論と事例を組み合わせた分析を通じて、報告者の問題関心を超えて社会に貢献できる研究成果を発信するようにつとめたい。

報告者は天理教教会本部(日本)、天理教韓国教団(韓国-天理教教会本部と連携)、大韓天理教(韓国-天理教教会本部と決別)の三つの教団を主な研究対象としている。
本研究課題の推進方策として、天理教韓国教団が発行した月刊機関誌をすべてコピーして分析する予定である(現在、半分ほど作業を済ませている)。また、大韓天理教の信者が日本の奈良県天理市にある天理教の聖地と大韓天理教が聖地化しようとしている大韓天理教本部(韓国)を、信仰生活の中で如何に位置づけているかを調査して考察したい。天理教韓国教団の場合、天理教教会本部と連携しており、教団幹部・教会長・一般信者を対象に、聖地に対しる意識調査を行った。その比較軸として大韓天理教の関係者がそれぞれ聖地をどのように考えているかをみるためである。
最終的に、これまでの研究成果を踏まえ、理論(構築・引用)と事例を組み合わせて博士学位請求論文を完成したい。


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