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近代天理教における「病気直し」と朝鮮布教に関する研究-近代日韓交流の視点から
by 邱琡雯, 2017-08-03 11:28, 人氣(1697)
研究機関立命館大学
特別研究員金 泰勲  立命館大学, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
研究期間 (年度)2007 – 2009


本年度は研究課題に関わる理論的な枠組みを構築することに勉めてきた。端的にいえば、ポストコロニアル批評的観点と植民地近代論から天理教の近代経験を意味付ける視座を獲得することといえる。その成果の一部が論文「ポストコロニアル批評と植民地朝鮮」(『季刊日本思想史』76号、ぺりかん社、2010年5月)に反映されている。そして近年出版された川瀬貴也著『植民地朝鮮の宗教と学知-帝国日本の眼差しの構築』の書評報告をとおして、植民地朝鮮の宗教研究における発展的課題を提案した。
また、天理教の植民地朝鮮布教を当時の宗主国日本の状況と並んで、台湾、中国布教のあり方とも比較しつつ検討する作業を行っている。これに関しては今年6月に立命館大学で開かれる「宗教と社会」学会第18回学術大会において「イデオロギーと希望-天理教の三教会同」というテーマで報告する予定である。
植民地期朝鮮の学術と宗教をめぐる言説の拮抗関係を、当時のキリスト教宣教師の言説、檀君研究、日本人学者(主に赤松智城)の朝鮮民俗研究などを視野に納めながら分析した論文「唯一神観念をめぐる知の競争-赤松智城の再評価をめぐって」(未発表)が完成されており、学会報告、学会誌への投稿を予定している。そして、植民地朝鮮の宗教状況においてもっとも重要なテーマの一つである「近代仏教」との関連を研究するために今年度4月から、国際日本文化研究センターの共同研究「仏教から見た前近代と近代」の共同研究員として活動することも決っている。
天理教の植民地朝鮮布教に関しては主に『天理時報朝鮮版』『道友』などの資料を中心に、布教の全体像を把握するための作業を行っている。



平成19年度は、研究1年目として、主に資料収集に努めた。天理大学附属図書館、天理教韓国伝道庁、天理教蔚山支部などを訪問し、植民地朝鮮への天理教布教に関する資料を集め、現在その整理を行っている。その中でも特に注目される資料としては、明治44年に彦根から韓国の密陽へ布教に出た布教師の大久保外吉が記録した「韓国布教日誌」がある。この資料は『埋もれ木-大久保外吉を偲んで』(彦根分教会編、1981年)としてすでに刊行されているものではあるが、教会内部の刊行物であったため、今まで学術的な研究では注目されて来なかった。しかしこの資料からは、当時、韓国へ布教にいった天理教布教師の生活状況や「病気直し」の様子、韓国人との接触形態などが推測できると判断している。近代日韓における宗教的営為、そして植民地支配と抵抗・受容の問題を考える上、天理教の「病気直し」が果たした役割を分析することは、近代における宗教の世俗化、国民化していく個人の信仰的ありかた、植民地と宗主国間の宗教的連鎖を究明するもっともの切り口になるであろうし、その際、上記の資料はたいへん貴重なものと考えられる。
また、韓国の国家記録院が所蔵している植民地期文書の中で、「宗教の宣教に関する雑件綴」(明治39年〜42年)、「布教者に関する綴」(明治40〜43年)、「布教所に関する綴」(明治40〜42年)など、韓国統監府期の史料を基に当時の宗教状況を分析している。
韓国における天理教に関する近年の研究論文も整理しつつ、その動向や問題点などを考察している。現段階では、それらが天理教の「病気直し」における近代的変容を踏まえていないこと、日本における国家神道体制の中での天理教の位置付けなど、国家と宗教の問題、植民地への宗教的連鎖が持つ意味に関する研究よりも、個別宗教教団としての天理教を取扱い、その教義の特質や教祖の思想問題などに関心が集中している点については今後批判的考察が必要だと考えている。



本年は採用二年目として、論文「明治二〇年代における天理教批判文書の検討-せめぎあう信仰と「神道非宗教論」の行方-」(『日本思想史研究会会報』第26号)を発表した。明治二〇年代において、主に仏教者たちによって刊行された天理教批判文書を分析した。従来の研究ではそれらの批判文書が、淫し邪教としての天理教イメージを強調するものにすぎないといった観点から史料的価値はそれほど認められてこなかった。しかし、それらの批判文書を明治二〇年代という時代のなかで、宗教をめぐる言説のせめぎあいの側面から分析すれば、新たな視点の提示が可能となることを論証した。それは「神道非宗教論」の民衆的展開の様相がみてとれる、という視点である。「神道非宗教論」に関しすは、明治二〇年代は「神社政策の不活発期」といわれ、それまで政界、神道界や仏教界の知識層の間で議論されていた「神道非宗教論」が国家神道体制の展開過程のなかで空白のままになっていた。それに対し、本論文では、「一八八二年の神官・教導職の分離をもって、「神道非宗教論」は、為政者・神道家・仏教者それぞれの思惑が異なる点はあったにしても、日本社会の上層部において形成されていた。そしてそれが民衆レベルの生活問題として下りてくるのは、明治二〇年代にかけての、宗教集団間における利権・権力をめぐるせめぎあいの過程のなかで、自集団のアイデンティティを確立させるため、または他者を批判するための、超越的外部として措定されることによって初めて定着していく」といった結論を出しか。
この外、天理教の植民地朝鮮・台湾布教に関する史料調査を行い、関連学会で報告した。特に、2008年10月25日に台湾で開かれた国際漢学検討会では「戦前天理教の台湾布教について-朝鮮布教との比較から-」というタイトルで口頭発表し、台湾の研究者だちからも高い関心を得た。報告では、戦前の天理教における台湾布教と朝鮮布教を比較しつつ、両者の差異点と特質を明らかにし、植民地政策との関連から天理教の植民地布教様相を分析した。

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